スター選手インタビュー |
高山智宏 -インラインホッケー界「希望の星」- by: QUEENS編集部 2002年1月収録
インラインスケートとの出会いをきっかけに、インライン |
Profile: ■高山智宏(たかやま・ともひろ)■1982年6月1日生/O型/東京都出身/ 170cm・61kg/#4/FW/ライトハンド ホームチーム: Flying Penguins (フライング・ペンギンズ) 現在の所属チーム: ◇日本アイスホッケー連盟インラインホッケー部門 (Aプール/Tour Tornados/ツアー・トルネードス) ◇CCM Premium League @ 豊島園 (Gold Div./Tour Tornados/ツアー・トルネードス) ◇21 Hockey League (21HL) @ 豊島園 (Major Class/Flying Penguins/フライング・ペンギンズ) ◇Misconduct Hockey League (MHL) @ アメージングスクエア (Gold Div./Double Dippers/ダブル・ディッパーズ) (Silver Div./Rastas/ラスタズ) ◇Inline Hockey League (IHL) @ 後楽園 (Bプール/Flying Penguins/フライング・ペンギンズ) 国際経験: 1995年 ロサンゼルス遠征Bクラス日本代表 2001年 MHL日韓親善試合 韓国遠征 Under-18日本代表 ロサンゼルス遠征 Black Biscuit Cup日本代表 ロサンゼルス遠征 JRSF世界選手権大会 日本代表 スペイン遠征 NARCh Final 2001 日本代表 フロリダ遠征 日米親善試合(全日本vs全米プロ) 日本代表 in Okayama |
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――インラインホッケーを始めたきっかけについて教えて下さい。 |
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高山 |
小6の時、友達がインラインスケートをやっていて、親友のヒカル(大西光選手)と一緒に「滑るだけ、やってみようか」って。それまでは、スポーツ、全然やったことなくて、肥満児だったんですよ。超〜肥満。(笑)僕は今のヒカルでしたし、ヒカルも今の倍くらいありました。でも、やせる目的というよりは、家にいてずっとゲームばっかりやってたりとかして不健康だったから、2人で「運動しよう」つって。で、最初の8ヶ月間くらいは、ホッケーではなくて、ずっとアグレッシブをやってました。インラインホッケーをやり出すようになったのは、秋葉原(の公園)だったんですけど、そこに、インラインのこと全般をやってる何か変わったおじさんがいて、パイロンやジャンプ台を持って来てくれたり、ホッケースティックを貸してくれたりしたんです。最初は、そのおじさんにすごいお世話になりました。それが丁度、夏休みの朝で、それからの2ヶ月間くらいで、もうハマっちゃいました。すごいやってましたね。で、学校が始まって、活動が夜に変わった時に、ペンギン(フライング・ペンギンズ)の監督のヤマウラさんという方に会って、それからはペンギンでお世話になってます。 |
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――インラインホッケーを始めた頃、やってみてどんなふうに感じましたか? |
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高山 |
自分に合ってるな、自分に合うスポーツがあったなぁとは思いましたね。面白いって、すぐに思えたし、すんなり飲み込めてやり易かったです。 |
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――高山選手がインラインホッケーを始めた当時というのは、まだ世にインラインホッケーというスポーツはあまり知られてなかったのでは? |
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高山 |
そうですね、あまり知られてなかったですね。 |
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――「アイスをやった方がホッケーの勉強になるよ」って言われてやってみて、やはり、勉強になりましたか? |
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高山 |
勉強になりましたね、相当。あまり好きではなかったんですけど、アイスホッケーは。何かこうガツガツしてるじゃないですか、だから。でも、戦術だったりとか、スケーティングやシューティングだったりとかは、格段に上がったとは思いますね、自分で。基礎練もやらされましたしね。筋トレやったり、走りこんだり。それまでそういうのがなかったですからね、インラインは。ペンギンは、ずっと秋葉原で、人が集まったらゲームして、人が集まらなかったら、ドリブルの練習しようかとか、パス練しようかとか、そういうのしかなかったんで、新鮮ではあったんですけど、始めてすぐに、「やっぱりきついなぁ」とは最初思いましたね。 |
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