スター選手インタビュー

 

 

  
 

――インラインホッケーを始め られてから2年(1995年)、当時中学生2年の時に、日本代表としてロサンゼルスに遠征されていますが、その時のことを聞かせていただけますか?
 

高山

あれはね、実は、最初は出場メンバーに選ばれてた訳じゃなかったんですよ。アイスホッケーマガジンにも載せてもらったんですど、「帯同」だったんですよね。俺とヒカルを「連れてってやるよ。お前ら世界を見とけ」つって。だから、本当は試合に出るハズじゃなかったんですよ。で、連れて行ってもらって、代表の練習が初日にあって、その練習会で、「練習会ぐらい出ろよ出ろよ」って言われて出してもらったら、Bクラスでは通用したんですね。「あっ、じゃぁ行けるんじゃないか」つって入れてもらったっていう。結局、4試合全部に出してもらって。
この大会は、海外遠征と言っても、今と比べるとそんな大げさな大会ではなくて、ロスの、ホントに田舎のリンクでやってた、地域のクラブチームの大会に、日本人が参加したものだったんです。当時、ブラックビスケットっていうアメリカのチームに一宮さんがいて、日本から小園井さんとかが一宮さんとコンタクトをとって、「じゃぁ、一席もうけましょう」みたいな。

 


PHOTO:くまどん@ホイジンガー

――そこで、初めて海外の人たちを相手にプレーした訳ですよね。何か印象に残っていることはありますか?
 
高山 体のデカさとか、強さですね。最初は、こっちは日本で選んで来ているんだし、相手はクラブチームで地域の大会だったから、別にそんなに、そこまで差はないかなと思ってたんですけど、やっぱり経験の無さだったんでしょうね、日本は外に行ったことがなかったですから、ボコボコでしたね。
 
――やってみて、なかなか思い通りに行かなかったと?
 
高山 そうですね。スポーツコートがまず初めてだったんですよ。日本になかったから。グリップの問題もあって、「何だコレ?」って思ったし、あとはもう、体力の問題じゃないかなぁ、きつかったですね。当たりも向こうは結構、無しとは言いつつ、認めてた部分があったから。
 
――相手はずっと一緒にやってきた仲間でのチームですよね。日本は選抜だから、つまり、寄せ集めのチームですよね。練習は?
 
  高山 1回だけでした。
 
――十分できないまま行って、意思の疎通はとれましたか?
 
高山 あんまり。難しいとこでしたね、それは。やっぱり、それだけ当時は、みんなが同じレベルのホッケー論を持っていた訳ではなかったし、一緒に練習してなんぼの世界だったんでしょうね。
 
――ホッケーという未知なスポーツを知っていく過程で、高山選手が意識してやってこられたことはありますか?
 
高山 最初はホントに楽しかったから、反省とかじゃなくて、「繰り返しの練習」でしたね。その人に勝てるまで挑んでみるとか。見本みたいに上手い人たちといつも一緒にやってましたからね。チームミーティングとかも、最初は全然しなかったんですよ。チーム自体も確立してなかったし。あの当時は、ビデオとかも全然なかったから、ホントに繰り返しやって、「あっ、これは止められるんだ。じゃぁ、これは?」という感じで自信をつけていくという方法ですね。幸い、秋葉原だったから、練習は何時間やってもタダでしたし、何時まででもみんないてくれてたから、好き勝手やってたんですけど、やっぱ、徐々に変わってきましたよね。最近はビデオを見たりとか、チームのミーティングとかも結構しますからね。やっぱ大事だなぁとは思ってるけど。実際、最後は、どんだけ練習して、そのどんだけ練習した中で成功したかだと思うんですよ。
 
――高山選手を最初に見た時に驚いたのですが、いろんな技をお持ちですよね。跳び技とか、フェイント技とか、沢山。それらの技はどのようにして開発されているのですか?
 
高山 うーーん、そうですね、いろいろあるんですけど、なんか考えて「こうしたいなぁ」とかもあるんですけど、殆どは試合中にボンッと出来て、「使えるかもコレ」つって、練習の時に持ってきて、練習してみてって感じですね。試合中のプレイって僕、全然考えてやってないんですよ。ホントに体が動くままに、こうやってみて、「ああ、これは使えるかも」って思ったのだけ。


PHOTO:くまどん@ホイジンガー

 
  後は、アイスホッケーの「すごいプレー集」みたいなビデオなんかを見てみて、「あっ、これはやりたいな」とか、そういうのもありますね。向こうの、アメリカのインラインのプロの連中とかを見たりするのもすごい勉強になるし、ロスに行った時に、向こうのガキがやってるの(ホントにすごいですからね)を見て、「あっ、それ教えてくれない?」って言って教えてもらったりとか。
 
 

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