スター選手インタビュー |
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川端忠仁 -インラインホッケー界に 「衝撃を与えた男」- by: QUEENS編集部 2002年6月1-2日収録 2000年秋、パシフィコ横浜。ここで、日本アイスホッ ケー連盟主催の全日本大会が開催された。選手人口 の多い関東で行われた大会だけあって、会場は大賑 わいだった。全日本行きのキップを手にできなかった 選手や、同時開催の横浜大会に出場する駆け出し選 手も大勢見守る中、その大会は今まさに最高潮を迎え ていた。Aプール決勝戦「Tour Tornados vs Blood Gear」。試合は1点を争う一進一退の攻防戦。 その ハイレベルな戦いに、観客は時折歓喜の声を上げなが らも勝負の行方を見守っていた。 |
そんな中に、ひときわ光る選手がいた。トルネードスの川端忠仁選手だ。 自陣最終ラインで守る彼は、鮮やかに敵の攻撃を阻止したかと思うと、すぐ さま攻撃を展開!味方にキラーパスを送ったかと思うと、今度は猛スピードで 何人もの敵をごぼう抜き、シュート&ゴール!自陣フェイスオフスポット付近 から放たれた彼のバッティングシュートは、そのままゴーリーの肩口を抜け、敵陣ゴールネットを揺らした!この時、彼のプレーを初めて見た者たちは大きな衝撃を受け、また以前より彼を見知る者たちは再び彼の超人的プレイを目の当たりにできた喜びで興奮した。・・・今からもう2年前のことだ。 今日は、野辺山での全日本関東予選。その最中の忙しい時間を割いて、 彼は協力的にインタビューに応じてくれた。 |
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Profile: ■川端忠仁(かわばた・だたひと)■1973年6月19日生/O型/北海道出身/178cm・73kg/#91/DF/レフトハンド/アイスホッケー暦20年/実業団所属暦7年/インラインホッケー暦8年 ホームチーム: Tour Tornados (ツアー・トルネードス) 現在の所属チーム: ◇日本アイスホッケー連盟インラインホッケー部門 (Aプール/Tour Tornados/ツアー・トルネードス) ◇アイスホッケー (鳥せい御影クラブ) 国際経験: 2001年 JRSF世界選手権大会 日本代表 スペイン遠征 (Best 5) 2001年 日米親善試合(全日本vs全米プロ) 日本代表 @ASPO in Okayama 個人タイトル: 2000年 全日本インラインホッケー選手権大会 「BEST DF」受賞 ホームチーム特筆戦跡: 1998年 第1回インラインホッケー関東選手権大会 (優勝) 全日本インラインホッケー選手権大会 (優勝) 1999年 第2回インラインホッケー関東選手権大会 (優勝) 2000年 第3回インラインホッケー関東選手権大会 (優勝) 全日本インラインホッケー選手権大会 (準優勝) 2001年 MHL主催NARCh日本予選 (優勝) 第4回インラインホッケー関東選手権大会 (優勝) 全日本インラインホッケー選手権大会 (優勝) 2002年 MHL主催NARCh日本予選 (準優勝) 第5回インラインホッケー関東選手権大会 (優勝) アイスホッケー実績: 1992-1998年 日本アイスホッケーリーグ 西武鉄道所属 2000年 八戸国体(成年の部) 京都代表 2002年 北海道国体(成年の部) 北海道代表 (準優勝) |
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――川端選手は、アイスホッケー暦が20年、インラインホッケー暦が8年とのことですが、アイスホッケーは何歳から始められたのでしょうか?きっかけは何ですか? |
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川端 |
ホッケーを始める前は僕、スピードスケートをやってたんだけど、9才の時に、ウチのおじいちゃんと、8つ年の離れた兄貴のホッケーの練習を見に行って、そこで「おもしろそうだ」って話をしたら、「なら、やってみなさい」って勧められて。で、やり始めたんだよね。スピードスケートは個人スポーツで自分との戦いだけど、ホッケーは団体スポーツで他の人とできたり、ゲーム性のあるところが面白いって思ったし、スケート以外のものを使って遊べる面白さにも魅かれて…、だから、やってみたいなぁと。 |
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――始められた頃はどうでしたか? |
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川端 |
最初はね、滑ることだけは負けないんだけど、パックをいじったりホッケーをすることが全然できなかったからね、それが悔しかったけどね。だけど、チーム的にすごい優しいスタッフがいて、全道大会とか出して頂いて、リンクサイドで実感しながら見れたっていうのが第一の勉強になったのかな。そこから始まってますよね、原点が。まずは、使えないにしても、3年生でも入れてくれて。そこで、もっともっと極めてみたいなって思ったかな、うまい人たちを見て。よそのチームにもうまい人たちがいて、そういう人たちを見て「あ〜、こういう人たちになりたい!」、「こういう人たちに負けたくない!」っていう思いが1つになって、それから練習とか遊びとか始めた。 |
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――川端選手は今でこそ長身ですが、3年生の時はどうだったのでしょうか? |
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川端 |
もうね、小学校5年生くらいと変わらない身長だったからね、体格負けはしなかったけど、でも、ホッケー知らないから、ベンチに入ってるだけ。それでも、1回は出してもらえたのかな。でも、「次来る時はもう、俺が出てる!」っていう気持ちはあったよね、その時には。 |
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川端 |
やっぱり、冬の身近なスポーツですよね。北海道全部の地域がっていう訳ではないんだろうけど、苫小牧・札幌・釧路・帯広といえば、どの学校でもリンクを造って、そこでやれるほど身近であって、いつでもあるっていう。中学校になったらね、体育の授業でもやるようなところがあるから。僕の出身地の帯広市は、ホントかどうか分からないけど、日本のホッケー発祥の地と自ら謳っていて、街全体でホッケーを盛り上げていこうというような気持ちのあるところでしたしね。 |
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――こちらでは考えられないですね。サッカーならあるかもしれませんが…。それに、学校にリンクがあるのですか?いいですね。ところで、どうなのでしょう?こちらでは、アイススケート場で、一般滑走が終わった夜でないとホッケーはできませんが、北海道でも一般滑走の後にホッケーをするという感じなのでしょうか? |
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川端 |
北海道では、ホッケーのリンクと、スピードのリンク、フィギュアのリンクというふうに、専用のリンクが3つくらい並んでどの学校にもあるんですよ。ホッケーリンクは、年代別に使う順番が決まっていて、まず、学校が終わった小学生が使って、次に中学生、その次に高校生が使って、最後に社会人が使う。全部使い終わるのがだいたい夜の10時くらいかな。こっちのアイススケート場みたいに、ザンボーニとかで定期的に清掃したりはなくて、使ったら、みんなでほうきんぐして次の人に渡してっていうのだったから、社会人の順番が回ってくる頃には、もう氷はガタガタですけどね。(笑) |
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――お昼間の無理のない時間帯に出来ていいですね。でも、手作業なんですね。 |
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川端 |
そう。だから、親に負担がかかるスポーツではありましたね。各学校にリンクを造るっていうのは、他でもない親が造ってくれるから…。昼間はみんな仕事をしてるから、夜な夜な水を撒いて、氷を厚くしてくれて、それを次の日子供達が使わしてもらう形でやってるから、すごい負担がかかってるなぁとは思いますよね。 |
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